それは偽りの伝統 教材に残り続ける「江戸しぐさ」

    文科省が教材に残す理由

    文科省が教材とする「江戸しぐさ」 果たして裏付けは……

    「江戸しぐさ」と呼ばれるものがある。江戸の商人たちがお互いの生活を円滑に進めるために、培った生活の知恵だという。公共広告機構(いまのACジャパン)のCMや、教科書にも採用されたことで、おなじみの人も多いだろう。実は、この江戸しぐさ、研究者から史料的な裏付けがまったくない創作物、「偽りの伝統」であると指摘され続けている。国語辞典の編集者も存在の裏付けが取れなかったことを理由に、項目に入れなかったとツイートしている。

    そんな江戸しぐさを歴史的事実として紹介する教材がある。文科省が作った小学校高学年用の道徳教材「私たちの道徳」だ。この教材は今年に入り、導入後初となる改訂作業が進められていた。改訂作業は終わり、「江戸しぐさ」を残すことが決まった。今年度以降も継続して、全国の小学校で道徳教材として使われる。文科省の担当者はBuzzFeed Newsの取材に対し、「批判があることは知っているが、見直しする必要はない」と明言した。その理由は何か。

    江戸しぐさは「偽りの伝統」

    文科省の教材によると、江戸しぐさは、江戸に集まった様々な人たちがお互いに仲良く平和に暮らしていけるようにと商人の考えを元に、広まった生活習慣だという。これを今に生きる知恵として役立てようという動きがある。

    江戸の町には、全国から文化や習慣のちがう人たちが集まってきました。そのため、様々な人たちがおたがいに仲良く平和に暮らしていけるようにと、大きな店の商人たちは、当時、「商人しぐさ」と呼ばれていたものを広めていこうとしました。(中略)この「商人しぐさ」が元になり、江戸の町に広がっていった生活習慣を「江戸しぐさ」と呼ぶようになったと言われています。(「私たちの道徳」より)

    ところが、これを裏付ける証拠は示されていない。

    「江戸しぐさの正体」などで知られる在野の歴史研究家、原田実さんはこう話す。「文科省の教材に書かれていることを裏付ける史料はありません。それも当たり前で『江戸しぐさ』自体が、れっきとした創作物。それも1980年代に作られたもの。偽りの伝統と呼ぶべきものなのです」

    「現実ではなく、想像の江戸」

    原田さんによると、江戸しぐさを創作したのは、科学雑誌の編集長や企業コンサルタントなどを務めたとされる故・芝三光(しば・みつあきら)さん。芝は「江戸の良さを見なおす会」なるサークルの中で、独自の研究成果を発表していた。江戸しぐさもその一つだった。

    「いまの社会はダメで、それに比べて江戸は良かったという論法で語っていることがポイントです。芝が良かったとする江戸とは、史料に基づく現実の江戸ではなく、彼が理想とした想像上の江戸。現状への憂いから、過去を理想化していきました」

    江戸しぐさを取り巻く「陰謀論」

    例えば江戸しぐさの代表格で、文科省の教材でも使用されている「傘かしげ」。雨中、すれ違うときに相手を濡らさないため、傘を傾けるしぐさのだが……。

    当時、和傘は高級品でそもそも、江戸では普及自体が遅れていた。そんな江戸ですれ違うときに特殊な「しぐさ」が必要だったのか。浮世絵に描かれているように、和傘はすぼめやすいのだから、すれ違うときにすぼめればいいだけではないか。

    「洋傘が普及した現在の視点で、考えられた江戸だからこそ、こんなおかしな話がでてくるのです」(原田さん)

    江戸しぐさのおかしな点は、もっと根本的なところにもある。そもそも、江戸の町民に広く普及したというのに、なぜ1980年代まで知られていなかったのか。

    「江戸しぐさを普及する人たちの主張は主にこうです。明治政府による江戸っ子狩りがあり、さらに国家総動員法で、残された隠れ江戸っ子が戦争に行って、帰ってこなかった。もともと、江戸しぐさ自体が江戸っ子の秘伝だったという説明も加わります。明治政府や戦争を持ち出し、つじつまを合わせるための陰謀論を繰り広げるのです」。そう話す原田さんは呆れ顔だ。

    芝の没後、系譜を引く普及団体NPO法人「江戸しぐさ」によって一大ブームになっていく。メディア露出も増え、冒頭に取り上げた公共広告機構のCMにもなり、2014年には文科省の道徳教材に登場。各教科書会社も取り上げ、教育の世界にも浸透していった。

    ところが、原田さんを筆頭に研究者による批判が強まり、教科書会社も江戸しぐさについて、項目を差し替える動きが広まっている。

    文科省に聞いてみた。なぜ江戸しぐさを残すのでしょう?

    こうした状況の中、改訂作業を進めるも、差し替えなかったのが文科省だ。ここまで批判が強い、江戸しぐさをなぜ残すのか。担当する教育課程課に聞いてみた。

    ――江戸しぐさには批判も強い。なんでわざわざ取り上げるのでしょうか?

    担当係長「時と場をわきまえて、礼儀ただしく真心をもって接することを考える教材として取り上げています」

    ――江戸しぐさ自体が創作物だという批判がありますが。

    「批判があることは知っていますが、今回の改訂では教材に追加する部分を議論しています。基本的に、既存部分はそれまでと変えていません」

    ――教材を読むと、江戸しぐさそのものが事実であるとしか読めないように描かれています。批判があることを知っているなら、このような書き方をすべきではないのでは?

    「道徳の教材は江戸しぐさの真偽を教えるものではない。正しいか間違っているかではなく、礼儀について考えてもらうのが趣旨だ」

    ――見直すべきではないでしょうか?

    「既存の部分は見直す必要がないと判断している」

    ――事実でない教材で、礼節を教えるのは根本的にダメなのではないでしょうか。

    「繰り返しになるが、道徳の時間は江戸しぐさの真偽を教える時間ではない」

    「礼儀や道徳を教えたいのなら、嘘は必要ない」

    原田さんに文科省の主張をどう思うか、聞いてみた。

    「詭弁に過ぎないですね。礼儀や道徳を教えたいのなら、そこに嘘が混ざってはいけない。存在しないものを、あったと嘘をつく人に礼儀を説かれることが、果たして道徳なのでしょうか。あったと嘘をつかないと成立しない教材から、礼儀は学べないと思います」