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「人の命を奪うことは許されないからこそ死刑にはためらいがある」 詩人の岩崎航さん、相模原事件、判決を語る

障害者施設で元施設職員の植松聖被告が入所者19人を刺殺し、職員を含む26人に重軽傷を負わせた相模原事件に死刑判決が出た。生活の全てに介助を必要とし、相模原事件についても発信を続けてきた詩人の岩崎航さんはどう受け止めたのだろうか?

相模原市の知的障害者入所施設「津久井やまゆり園」で、元施設職員の植松聖被告が2016年7月26日未明、入所者19人を刺殺し、職員を含む26人に重軽傷を負わせた「相模原事件」。

3月16日午後、横浜地方裁判所で死刑判決が言い渡された。

筋ジストロフィーがあり、生活の全てに介助を必要とする詩人の岩崎航さんは、相模原事件についても発信してきた

この裁判の行方を見守ってきた岩崎さんにお話を伺った。

判決にためらい「人の命を奪うことは決して許されない」

ーーまず、今回の死刑判決を聞いて何を感じましたか?

現実にこういう判決が言い渡されると、とても重いことだと感じました。

まず、死刑についてどういう考えを持つかということにもよると思います。

どのような理由、背景があったとしても人の命を他人が奪うことは許されない。その大原則を貫く観点から、私は生涯、刑務所の外で生きることは叶わない終身刑の形を死刑に替えて最も重い刑とするほうがよいという考えです。

そうは言っても、私も家族や愛する人の命が凶行で奪われたら、同じ考えを持ち続けられるかは分かりません。

生き死にの話もそうでしょう。

耐えがたい心身の痛苦が絶え間なくあって、死にたいほどの状況に追い込まれた時に、自分がなおも生きていきたいと思えるのかどうかは分からない。

でも、今の気持ちとしては死刑に替わるものがあればいいと思っています。

植松被告に対しては、一番重い刑を科すべきだと考えています。そういう意味で今、日本において最も重い刑罰の判決が出されたのは、当然だろうと受け止めています。

でも、手放しで得心するという話ではありません。

19人の命が理不尽に奪われているわけですから。 そして、植松被告のように残虐なことをした人であったとしても、これで人の命を奪うことを認めてしまうのにはためらいがあります。

彼は自分なりの理由付けに基づいて特定の人たちは生きるに値しないと決めつけて凶行に及びました。

そのことを断固として退けるためにも、どのような理由、背景があったとしても「人の命を他人が奪うことは許されないんだよ」と、社会が強く示す必要があるのではないかと思います。

ーー控訴するかどうかはわかりませんが、犠牲者やご遺族、怪我を負った方たちにとって判決は区切りとなるでしょうか? 償いになるのでしょうか?

区切りというのは個人の内心で決めることで、第三者が立ち入って言及することではありません。また償えるものでもないと思います。

法的に、社会的には裁かれて、償うことになるのかもしれませんが、人間としては一生罪を背負い続け、償い終わることはない。生きている限り、背負い続けていくことが求められると思います。

ーー償いとは何を指すのでしょうか。

犯した凶行は償えない。人の命を他者が奪うことは何かで償い代替できることではない。せめて、その気持ちに向き合い続けることしかできないと思います。

露わになった障害者への悪意

ーー相模原事件が起きたことをどのように知りましたか?

テレビの報道を通じて知りました。恐ろしいことだ、とんでもないことが起きたと思いました。

ーー「障害者は不幸しか作れない。社会からいなくなればいい」と主張して起こした犯行を、どう受け止めたでしょうか? 当時、体調を崩されて心配しました。

彼の色々な発言が伝わってくるにつれ、私も重度の障害者なので、まっすぐ自分にも刃がつき出されたような感じでした。

今までこんなにあからさまに障害者の存在そのものを害悪と言い切り、否定する人はいなかった。世間には、そういう眼差しに類する見方があるのは知っていましたが、ここまで露わにされると恐ろしくなりました。

連日、事件が報道されて、その事実と、暴言の数々、不敵に笑っている表情をみるたびに、恐怖と悲しみに打ちひしがれました。体調に影響も受けました。

あの時、障害を持っている人とその家族で体調を崩したという人は多かっただろうと思います。

ーー介助者に対する不信感や世の中に対する不信感は芽生えませんでしたか?

それはありません。この事件に寄せて、揺るがせられはしましたが。

そのうえで、思うことは、自らそうした結びつけ方をしてしまうと介助を得ながら生きていく力が削がれてしまう。介助がなければ生きていけない人は、介助者を信頼して身をゆだねることでしか、生きる道がないのです。

その生きる道を妨げないでほしい。塞ぐようなことをしないでほしい。切なる願いです。

ーーネットでは植松被告に共感する声まで出ていました。

そういうことまで含めて、自分の存在を揺るがされる経験でした。昔から、そして今も、そういう意見は散見されます。社会のコストなので、障害者への社会保障はできるだけ少ないほうがよいという見方をする人は一定数いるでしょう。

重い病や障害を持つ身になってしまったら、生きていても仕方ない。不幸せなだけだと、即断してしまう考えは、根深くあります。

必要な手助けが得られれば十分生きられるのに、それがない中で生きていれば、自分さえも、「生きる意味がないのではないか」と考える人もいます。私も昔、死にたいと思ったことがありますが、必要な手助けを得られているからこそ今も生きていけるのです。

必要な手助けがあれば、重い病や障害があっても、その人固有の人生を豊かに生きていける余地がある。無条件に生きるのが人間なのですから。

もちろん、堪え難い苦しみに始終苛まれていたら、生きる気力は奪われるでしょう。穏やかでいられる時間は、苦痛を和らげる色々な治療であったり、体の不自由さを補う介助であったり、それを保障する医療や介護の制度。支援が十分にあるかどうかに左右されます。

逆にそういう助けがあれば、生きる苦しみを少し取り除くことができる。

その手立てを社会で十分尽くしていなければ、一足飛びに、「この人は生きていても仕方ない」「安楽死をすべきだ」という考えに結びつきかねません。

ただ、植松被告は、そういう手立てをすることが世の中を悪くしているという主張をしています。しかし、彼が本当はどう思っているのかはいまだによく分かりません。

人から生きる力を得る

ーーその後、私が編集長を務めていた読売新聞の医療サイト「yomiDr.」でとても力強い緊急寄稿「つなげたい 社会のなかでともに生きる灯火」を書いてくださいました。「障害がある人もない人も、社会のなかでともに生きる光は世界中に灯っている。私もその灯火をつなげていく一人でありたいと願っています」と書かれたのが印象的でした。

そういう光を当時、感じたから書けたことです。最初は衝撃が大き過ぎて、呆然として心が動きませんでした。心がこわばって、恐ろしさ一色になっていましたが、私のことを心配してくれる人が身近にいた。

それで、「このまま押し流されてしまうわけにはいかない」という気持ちになれました。もちろん植松被告と同じような考え方をする人はいるのでしょう。それでも対抗するんだという気持ちが湧き上がった。

人から得た力です。人から力を貸してもらうことで、弱りかけた自分の中の生きる力を呼び覚ましてもらいました。一人ではできないことです。


大気を呼吸すること
体に栄養を取り入れること
トイレに行くこと
自宅に住まうこと
おしゃべりすること
珈琲を飲み、酒を飲むこと
外に出かけること
ああだこうだと仕事すること
愛すること
つながりあって
人々の中で生きて死ぬこと
それを人間らしく望んでいるだけだ

(岩崎航さんが相模原事件発生当時、書いた詩)

荒唐無稽な彼の理論は正面から取り上げない方がいい

ーー弁護人は、植松被告には精神障害があり、障害の影響で刑事責任能力が失われていたか、著しく弱っていたとして無罪を求めていたのに対し、植松被告は「責任能力はある」と主張していました。これについてはどう考えましたか?

弁護人の主張は、植松被告が知的障害のある人を「心失者」と呼んで、殺すことを正当化していた彼の論理と矛盾した主張です。だから責任能力があると主張したのか、そこまで論理的に考えたのかどうかはわかりません。

私は彼には責任能力はあると思います。報道でしか判断できませんが、明らかに理解力がないわけではなく、一定の自分の判断基準があってやっていることなので、何もわからないということではないと思います。

ーー裁判では、「幸せになるための7つの秩序」が必要であり、障害者がそれを阻害しているという持論を主張していました。

戯言レベルの荒唐無稽な、幼い主張を繰り返していましたね。私は、彼の主張については、あまり正面から取り上げないほうがいいのではないかと思いました。

彼のせまい土俵に招き入れられて上がれば、本人の歪んだ願望が満たされるだけです。取り上げるまでもなく、「それは通らないよ」とはっきり社会が示した方がいいと思います。

どんな理由や背景があっても、あったのだとしても、そんな論理は通らない。ダメだということを社会ははっきりさせなければいけないと思います。

ーーこの裁判で彼がやったことの真相は明らかになったでしょうか?

明らかになったとは言えないのではないでしょうか。どれだけの時間をかけてやったのだとしても、わかり切れるものではないと思います。

彼の主張をはっきりと拒む。それは通らないよと強く示す意味合いも判決にはあると思います。

障害を持つ人が命を脅かされないように

ーー相模原事件が今の日本社会に問いかけたものは非常に重いと思います。植松被告だけの話ではなく、今の日本社会が醸成した空気から生まれた事件のように思えます。

あそこまで酷いことはしなくても、みんな、何かを知らないことで酷いことをしてしまう、誰かを差別して酷く取り扱ってしまうことがあります。

言うまでもなくそれは障害者だって同じで、別の困難を抱えている人を知らなかったり、偏見もあります。

ただ、それに少しでも気がついたら目を向けるとか、修正することが人間はできる。知るということが大事だと思います。

例えば、胃ろうの是非についても、無駄な延命だという議論があることに気づいて、私は強くその必要性を主張しています。必要としている人がいることを知ることによって、相手にも違う判断が生まれるかもしれません。

植松被告は施設で働いて、障害がある人と全く関わりがないわけではありませんでした。でも、関わっているから必ずしもわかるということではない。

充分な手助けが得られずに、苦しんでいる辛い状況を目の当たりにしたのかもしれません。しかし、自分が見ている外の世界には、いろんな可能性があって、いろんな手助けの仕方もあって、また違う風に生きられることを知る機会が持てなかったのではないかと思います。


植松被告自身もそれまで生きていた中で、本人が抱えている、手助けが必要な何かがあったのか、それが顧みられてこなかったのかもしれません。

必要なのは共に生きること、様々な場所で出会うこと

ーー障害がある人が命を脅かされず、安心して生活できる社会になるためには何が必要だと思いますか?

最近は社会参加も進んで、街で重い障害のある人が外出しているのを見かけるようになってきましたが、まだ思うように社会に出られない人が大半です。学校でも、職場でも、街の中でもそうでしょう。どこにでも出会える状況にはなっていない。

幼い頃から分けられているからです。

一緒に学び、一緒に生きる時間が積み重なれば、どういうことに困って、どういうことが必要か。そして、冗談も言えば、笑いもすれば、家族もいる、特別な人ではないということがわかってくる。そういう機会が増えたら、社会も変わってくるのではないかと期待します。

なじみのないなかで、急に大変な状況に接すると、これではかえって生きる方が辛いのではないかと考えてしまうでしょう。どうしても「だったら生きない方がいいのではないか」という考えに傾いていってしまいます。

今は分けられていますが、一緒に過ごして、姿を見て、まずは知ってほしい。

まだ十分ではないかもしれませんが、「こうやって生きられる」「手助けがあればこんな風に生きられる」ということをいろんな人が多様に、千差万別な環境で人間らしく生きている姿を見せる。

どんな病や障害がある人も、そう生きられるように世の中を変えていきたいです。

【岩崎航(いわさき・わたる)】詩人、エッセイスト

1976年、仙台市生まれ。筋ジストロフィーのため胃瘻と人工呼吸器を使用し24時間介助を得ながら暮らす。2013年に詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)、15年にエッセイ集『日付の大きいカレンダー』(ナナロク社)を刊行。自立生活実現への歩みをコラム連載(16年7月~17年3月/ヨミドクター「岩崎航の航海日誌」、17年5月~/note「続・岩崎航の航海日誌」)。16年、創作の日々がNHK「ETV特集」でドキュメンタリーとして全国放送された。公式ブログ「航のSKY NOTE」、Twitter @iwasakiwataru

BuzzFeed Japan Medicalの外部執筆者も務め、こちらから岩崎さんの原稿を読める。