【インタビュー】字幕翻訳者・戸田奈津子「エッ?と思う字幕は、どこかおかしいの」

    40年にわたって第一線で活躍している戸田奈津子さんの字幕翻訳論。

    「英語じゃないのよ、映画よ。最初からそれしかない。映画が好きだから英語を勉強したわけで、英語そのものが好きな人間ではないのです。ボーナスで英語を勉強したっていうだけ。映画がすべての始まりでした」

    映画字幕翻訳者の戸田奈津子さん(80)の名前を、洋画のエンドロールで一度は見たことがあるのではないだろうか。

    『E.T.』『タイタニック』『ジュラシック・ワールド』など、これまで1500本超える作品の翻訳を手掛けてきた戸田さん。

    字幕翻訳の夢が叶うまで20年も掛かったにもかかわらず、あきらめなかったのはなぜか。誤訳批判について思うこととは。BuzzFeed Newsは40年間、字幕翻訳の第一線で活躍している戸田奈津子さんに話を聞いた。


    「ただの映画ファン。ミーハーよ、しかも」

    意外なことに、戸田さんは大学を出る直前まで「字幕のことなんか考えたことはない」と話す。

    「ただの映画ファン。ミーハーよ、しかも。映画を観てて、字幕のことを考える?中学、高校、大学と10年以上映画を観まくりましたが、ビデオもDVDもない時代。一期一会で映画を観るから、意識は99%画面に釘付け。英語がわからないから、残りの1%でストーリーを追っていたわけです。字幕翻訳を仕事にしようだなんて一瞬たりとも考えたことがありませんでした」

    大学の4年間を教室ではなく映画館で過ごした、と過去のインタビューで明かすほどの映画ファン。

    映画が大好き。ただその気持ちだけで映画を観続けてきた戸田さんは、大学を卒業する直前になってから字幕翻訳の仕事に興味を持ち始めたという。

    「就活の時期になって、何しようかと思ったら『あぁ、字幕は誰かがどこかでやっているんだと初めて気がついたの。私に向いた仕事だ』と思って」

    そこから、戸田さんの字幕翻訳者になる夢が始まった。しかし、本格的に字幕翻訳を手がけるようになったのは、その20年後。戸田さんが40歳を過ぎたときだった。

    夢叶うまで20年

    字幕翻訳者になろうと決心したものの、なるための唯一の手がかりは、映画で見慣れていた「日本版字幕 清水俊二」だけだった。

    清水俊二さんは、日本における英米映画の字幕翻訳の第一人者で、のちに戸田さんの師匠的な存在となる。

    戸田さんは住所を探し、清水さんに「字幕翻訳をしたい」と手紙を送った。しかし、初対面で「字幕をやりたいとは、困ったねぇ。とにかく難しい世界だから」と言われる。しかし、清水さんの言葉ではあきらめきれなかった。

    「ここであきらめはしないぞ!」という気持ちだけをしっかり抱いて帰りました。(「KEEP ON DREAMING」より)

    大学を卒業してからは生命保険会社の秘書として働くが、どうしても字幕翻訳の夢を捨てられなかった戸田さん。1年半ほどで秘書を辞め、翻訳や通訳のバイトをしながら、清水さんに定期的に手紙を送る生活を過ごしていた。

    そのときの苦悩を過去のオピニオン記事で振り返っている。

    大学を出た女がトントン、「入れて」と言っても、入れてくれるわけがない。第一、たたく扉がないんです。「狭き門」と言いますが、門なんてない、壁で囲まれた世界だったのです。その中に男性が数人いて、その仕事を全て彼らがこなしていました。

    そういう世界とわかり、私は呆然としました。「やっぱり世の中は甘くないんだ。いくらやりたいと思っても、『いらっしゃい』と手招きしてくれるような魅力的な仕事なんてあるわけがない」ということだけがわかりました。これは何でも同じですね。世の中に出たら、自分の好む仕事のほうから呼んでくれることは絶対ありません。自分からチャレンジしなければ、絶対に攻め落とせません。

    20年も待ち続けてまで字幕翻訳者になろうと思った理由は。聞くと戸田さんは即座に答える。

    「字幕以外に、ほかにやりたいことがなかったから」

    戸田さんは、自分を勇気づけながら字幕翻訳者という夢を追い続けていたが、母親は戸田さんの仕事や結婚に不安を抱いていたという。

    「母は字幕の仕事なんてどういうものか全然理解していなかったし、すぐに実現するものじゃないってことをわかっていた。だからもちろん、母は不安だったでしょう」

    それでもあきらめなかったのかと聞くと、戸田さんらしい答えが返ってきた。

    「それはあきらめないわよ。私、母親の言葉で止まるような人間じゃないもの」

    大学卒業してから10年で字幕翻訳の仕事が初めてくるようになる。その後も字幕翻訳や来日する映画関係者の通訳を続けていた戸田さん。

    そして20年目にフランシス・フォード・コッポラ監督の大作『地獄の黙示録』を監督の推薦で翻訳。

    『地獄の黙示録』をきっかけに、戸田さんの字幕翻訳者としての道が本格的に開かれた。多いときには年に50本の映画を一人で翻訳していた。

    驚くことに、字幕翻訳は基本的に単独作業だという。複数の人が翻訳すると、セリフの言い回しやリズムを統一するのに余計な時間がかかってしまうからだ。


    毎日変わっていく言語

    40年近く字幕翻訳をしてきている戸田さんだが、仕事を始めた当初と今では、観客が使うことばが変わっている。

    「日本語はとにかく、もちろん英語も変わりますよ。言語は必ず毎日変わっていく、どの言語もね。だけど日本語は一番、新陳代謝が激しい」

    どのように対応しているのだろうか。流行語を字幕に使うのは危険だと言う戸田さん。

    「たとえば2016年に流行した『神ってる』を字幕に使ってごらんなさい。5年後には誰もわかりません。DVDで10年、20年残るのに、20年先に『神ってる』と字幕で出たら?誰もわからないでしょ」

    映画によっては使う例外もあるが、その場合はDVD版の字幕を作るときに修正するという。

    「例えば学園もので、本当に今のアメリカの大学の話だったら、流行語使う方が、現代っぽい感覚が出るでしょうが、DVDにする時には変えなきゃならない。将来の観客にはわかりませんから」

    ネットで広がる誤訳批判。そして『ロード・オブ・ザ・リング』騒動

    ネットでは、戸田さんが翻訳するときに使う独特の意訳や言い回しを「なっち語」と親しむ人がいる。その一方で、戸田さん独特の意訳や誤訳に対する批判の声が上がるのも事実だ。「誤訳の女王」とも呼ばれることも。

    ネット上の批判について、戸田さんは「見ないから、何て言われているか知りません」。

    戸田さんが字幕翻訳を担当した『ロード・オブ・ザ・リング』『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』は、原作に忠実ではないという批判が相次いだ。原作ファンを中心に、ネットで字幕修正や字幕翻訳の交代を求める署名活動が起きる騒動となった。

    戸田さんは「言い訳や昔の話をしたくない」と最初に断りを入れながら『ロード・オブ・ザ・リング』騒動についてこう説明する。

    「抗議をした方々は、数十年前の本の翻訳を聖書と思っているわけ。数十年前の翻訳ですよ?日々変わる言葉が、その間にどれだけ変化するか。今の観客が違和感を抱かない字幕にするのが当然じゃないでしょうか」

    原作「指輪物語」は、瀬田貞二さんが1970年代に翻訳。当時、使われていたことばは通用しないと戸田さん。実際、原作の翻訳も1992年に翻訳が推敲されている。

    字幕をそもそもどう作っているのか、戸田さんは著書に綴っている。

    かたや練りに練ったシナリオのせりふがあり、かたや観客の映画鑑賞の邪魔にならない限度の字数がある。その中間には必ずどこかに、限りなく原文に近く、しかも字幕として成り立つ日本語があるはずである。細い細い線のうえに、その線を綱渡りのようにたどってゆく努力が、字幕づくりの基本である。(「字幕の中に人生」より)

    また、映画字幕の翻訳は、書籍の翻訳と大きく違って制約がある。

    1秒に3〜4文字。14文字x2行以内のセリフ。ごく限られた字数で、字幕翻訳者はセリフの内容を観客に伝えなければいけない。

    字幕翻訳について批判する人に対して、このような制約を理解した上で観てほしいという。

    「批判をするなら、まず自分が制約を踏まえた翻訳を試してみたらいかが?それが制約を満たす素晴らしいものであれば、もちろん評価します」

    理想の字幕とは

    戸田さんにとって理想で素晴らしい字幕とはどのようなものか。

    「お客さんが字幕のことなんて考えずに、あたかも登場人物が全部自分のわかる言葉でしゃべってたって誤解するぐらい、違和感なくスッと頭に入る。それが一番良い字幕だと思います」

    「映画を観ている途中で、字幕に意識が行くのは、その字幕に何か引っかかるものがあるからです。エッ?と思う字幕は、どこかがおかしいの」

    「外国の撮影現場で、自分たちがつくった画面に字幕が入るなんて、意識しているスタッフは一人もいません。しかし言語の問題で、日本ではやむを得ず字幕を入れねばならない。スタッフにとっては完璧につくった画面に、余計なものが入ってくるわけです。字幕は画面に割り込む "余計なもの" 。となれば、字幕は可能な限り、鑑賞の邪魔にならないものであるべきです」

    また、過去のインタビューでは「透明な字幕」が理想だと説明している。観客はセリフ、つまり字幕を読みに映画館に来るのではない。

    「負担がかからない字幕で、映画を楽しんでもらうことが至上の目的なのです」

    誤訳と意訳の境目

    戸田さんの翻訳批判の中には、原作を無視して大幅に訳しているという声もある。言葉の意味やニュアンスをくみ取る意訳、そして誤訳の境目はどこなのだろうか。

    戸田さんは "Goodbye" という言葉を例に挙げて説明する。

    「アメリカのサラリーマン家庭があって、お父さんが "Goodbye" と言って家を出て行く」

    「『さよなら』って訳したら、日本人にはお父さんが家出するみたいに思えます。日本では『いってきます』と訳さねばならない。原文と違うけど、それは誤訳ですか?」

    「これは、極端な例です。しかし、実際のセリフにはもっと微妙なレベルで、制約上、同じような意訳をせねばならない場合が数多くあります」

    戸田さんは「限りなく原文に近く、しかも字幕として成り立つ日本語」という細い線の上で「ベストを尽くしている」と話し、これを理解せずに誤訳批判するのは "誤解" だと説明する。

    「最近、批判を恐れて直訳に近い字幕を見ることもありますが、そのような字幕は長すぎて、絶対に読みきれない。観客は『字幕を読みきる』ことに意識が割かれ、せっかくの画面を見損なっている。それでは何のための映画鑑賞なのでしょうか。映画は『字幕を読みに行く』ためのものなのでしょうか」

    60歳の頃から加齢黄斑変性の症状が出始め、それ以来、右目で仕事をしている戸田さん。昔ほど「馬力はない」と弱音を吐きながらも、今年だけでも12本ほどの作品を手がけている。平均月に1本のペースだという。

    「両目が見えなくなったら大変だと思うけど、本当にラッキーに右目は生きているのよ。それだけで、十分。私は」

    エンドロールに流れる「字幕翻訳・戸田奈津子」のクレジット。これを見る観客に思って欲しいこととは。

    「映画が楽しかったと思ってくれればいい。観客が『あー、良い映画を観た。楽しかった』と思ってくれれば、字幕は目的を達していると思います」