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東京で増える外国人学校の実態は 国内唯一のネパール人学校に入学してみた

ネパール語、英語、日本語、プログラミング教育も。

日本に住む外国人が増えている。法務省によると、2014年末で212万1831人。東京都には43万人と全体の2割が集中し、子供たちが通う学校も増えている。アメリカンスクールや中華系の学校の存在は知られているが、実はいろんな学校が存在している。一体、どんな教育がなされているのか?

日本で唯一のネパール人学校を訪ねてみた。

東京都のJR阿佐ケ谷駅から徒歩5分。商店街に位置する元新聞販売所が、ネパール人学校「エベレスト・インターナショナル・スクール」の校舎だ。4階建で、1階の広さ100坪の空間が児童が遊ぶ「校庭」、2〜4階に計9教室がある。

ネパール人学校が誕生したのは2013年。失業率が高いネパールから出稼ぎ労働者や留学生の来日が相次ぎ、その子供も急増した。将来、帰国する時のために母国の言葉や文化を学ばせたいという声が広がり、在日ネパール人有志が資金を集めた。

もともと、小規模なネパール人コミュニティがあった阿佐ヶ谷に設立され、周辺にネパール料理店や食材を扱うネパール系スーパーなどが増えた。開校当初、15人だった生徒は3年足らずで135人に。14人のネパール人教師が、保育園から5年生までの授業を教える。今年度4月からは、6年生向けの授業も始まった。

ネパール人学校ではどんな授業があるのか。「一日体験入学」した。


歌、瞑想……そして「妖怪ウォッチ」

午前時、登校してきた子供達が1階に集まって朝礼をする。50人で満杯。全員入りきらないため、園児と小学生で時間をずらす。列に並ぶ間、英語とネパール語が飛び交う。

時に日本語が混じるのは、「英語や異文化を学ばせたい」という親の願いで入学してくる日本人の子供が増えているからだ。

ラジカセでネパールの国歌を流し、ネパール人も日本人の子も大きな声で歌う。

園児の間で流行っているのは、アニメ「妖怪ウォッチ」。妖怪ウォッチの曲「ようかい体操第一」を歌って踊る。日本語の歌詞の意味はよく分からないという。

歌が終わったら瞑想。授業前に、集中力を高めるためだ。ネパールでは一般的だそうで、目を閉じて手を合わせる。


授業を通じて母国を理解

ネパールの教育システムでは図工や音楽はないそうだが、ここでは実施している。この日は2年生が図工の授業で紙粘土でネパールの立体地図を作っていた。授業を通じて、ネパールについて学ぶ工夫が施されている。

お互いにどこの出身か、首都のカトマンズの位置はーー。会話が弾む。

3年生はチームに分かれて、ネパールの硬貨を使った計算ゲーム。「5ルピー!違う、6ルピーじゃなくて、5ルピー!」。こういう機会がないと、母国の通貨に触れる機会もない。


ピアスが思わぬ障害に

1年生の教室に移動すると、2桁の足し算のプリントを解いていた。両手を使いながら声を出して計算をしている。1年生の段階では、算数の問題の中身は日本の学校の子供たちと変わらないように見える。

大きな違いは言語だ。教科書はネパール語と日本語の授業以外は、英語のものを使う。当然、日本語の能力は日本の学校に通う子供たちと差が出てくる。

1年生の頃から日本の学校に通った方が、日本に馴染みやすいのではないか。

「この子たちが日本の学校に通うのが難しい。原因の一つがピアスなんです」と広報担当の小澤桃子さん(27)は話す。

ネパールでは、子どもたちは両耳、女子は鼻にもピアスをあける風習がある。ピアスが原因で、日本の学校で入学を断られた例もあるという。

日本語も大きな壁だ。実際、日本の小学校に通ったが、日本語が大変で転校してきた生徒が何人かいる。

逆に、日本人の子供の多くは幼稚園を卒園後、一般の小学校に進学するという。この学校はNPO管轄で正式な課程ではなく、塾としてしか見なされないからだ。


プログラミング教育も

最上階の4階には、図書室兼パソコン室。5年生がパソコンの授業を受けていた。

ノートパソコンのスクリーンを覗いてみると、生徒たちはプログラミングで角度を計算して丸や四角を描いていた。取り寄せたネパールの教材を使用し、ワード、エクセルなど基本的な操作を一度習ったら、すぐプログラミングに移るという。

「ネパールでは、プログラミングを習得していれば、職に就きやすいと言われているんです」とプラディプ・タパ校長先生(33)は語る。

ネパールの教育で最も重要なのが、教育修了資格試験(SLC)。「SLCに受からないと、ネパールで職に就くのが非常に難しくなる」とタパ校長先生は話す。

日本に住んでいるからには、日本の教育にできるだけ合わせたい。しかし、ネパールに戻る生徒のことを考えると、母国の教育も不可欠。「どれだけネパールのカリキュラムに沿うかが課題です」


お昼はやっぱりカレー

お昼の時間が近づくと、カレーの匂いが校舎に漂う。

お弁当の主流はカレー。ネパールの蒸し餃子「モモ」が入っていると、児童たちは大喜びする。親が共働きで忙しく、お弁当を持ってきていない生徒は、学校の近くにあるネパール料理からテイクアウト弁当を取り寄せている。

学校近辺にあるネパール料理で注文している弁当(左)とネパールの饅頭「モモ」(右)

ネパールでは冷蔵庫がある家は少なく、冷たい物を食べる習慣がない。そのため、電子レンジが欠かせない。昼には学校の各教室に設置されている電子レンジに列ができる。


4月から校舎は2つに

毎週金曜日の午後にはダンスの授業がある。「ネパール人はダンスするのが好き」だそうだ。

4月の発表会に向けて、生徒たちは校庭で練習に励んでいる。ネパールの伝統ダンスや、洋楽に合わせたダンスも披露するという。生徒が 2、3人同時にバク転しようとするが、狭いためにすぐ別の生徒にぶつかってしまう。

4月から、荻窪にビルを借り、小学3年以上は新校舎に移動している。「予算、広さに見合う建物を探すのに苦労した」とタパ校長は話す。

廃校を借りるのが理想だったが、「国の財産になっていて、物件と見なされていない」ため、校庭が付いている物件は借りられず、新校舎もビルの中だという。


学校がコミュニティの中心に

放課後、親の迎えを待つ児童たちが遊んでいるのを見守りながら、小澤さんは「学校が在日ネパール人に影響を与えている」と説明する。

「学校がネパール人コミュニティの中心になってきています。日本の学校がネパール人の生徒を受け入れるときに、私たちに相談して来ることもあります」

取材の最後に、タパ校長に改めて聴いた。この学校に子供たちを通わせるネパール人家族はなぜ、母国ではなく、日本で暮らすことを選んでいるのか。

「日本の方がネパールと比べて収入がよく、飲食業などビジネスを始めやすいからです」

以前は、日本に出稼ぎに来る親は、子どもをネパールの親族に預けていた。しかし、この学校が設立されてから、収入が安定した頃に子どもを日本に連れてくる親が増えたという。学費は月4万円。ネパール人家庭にとって、決して安くない。

それでも、タパ校長は、児童の親からこう言われるという。

「バラバラで住むよりも、家族一緒に暮らしたいんです。子供たちには、将来どちらの国でも働けるように、この学校で学ばせたいんです」

生まれ育った母国を離れ、日本で暮らすことは大きな環境の変化だ。文化が違い、外国人への偏見もゼロではない。

それでも、両親は仕事を求めて日本に渡る。子供たちも家族一緒に暮らすためにやってくる。

「生徒の2割は学校が出来る前から日本に住んでいましたが、残りの8割は学校が設立されてから、来日しました。この学校は、ネパール人家族が日本にやってくる架け橋になっているんです」