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その転勤、笑えますか? 辞令1枚で家族の人生が変わるのは、仕方ないことなのか

転勤は「育成」でも「玉突き」でも、受け入れざるを得ない。その陰で、家族は「残る」か「動く」かの選択を迫られる。ひとりの社員を動かすとき、それぞれの事情に会社はどこまで配慮できるのか。

ある東証一部上場企業では、毎年8月ごろになると、東京本社に「別室」ができる。入り口はパーテーションで目隠しされ、中の様子をうかがい知ることはできないが、そこには巨大なホワイトボードが設置されている。翌年3月に内示がある、年に一度の定期異動の準備のためだ。この部屋で、数百人規模の「転勤パズル」が組まれるのだ。

育成転勤と玉突き転勤

労働政策研究・研修機構は2016年11月、転勤の実態調査を発表した。転居を必要とする人事異動がある企業の割合は約3割(2004年)で、大企業ほど転勤が多かった。単身赴任者は年齢が高いほど多い傾向があり、50代男性では4.5%となっていた(2012年)。

転勤の期日や日数をルール化していない企業が過半数。社員の事情を「配慮する」としたのは約7割だった(2015年)。

15社のヒアリング調査(2015年)により、転勤には人材育成や経営幹部育成の目的がある一方で、人事ローテーションの結果、欠員が生じて玉突きとなった転勤も存在している、とした。

同じポストでスライド

東京都内の化粧品会社に勤める西岡愛さん(39)は、海外事業部に配属された2カ月後の昨年7月、会社員の夫(40)の福岡への転勤が決まった。

長男(7)が小学生になり、長女(4)のオムツも取れて、夫と協力すれば海外出張にも行けるようになる、と張り切っていた矢先だった。夫が会社から提示された任期は「最低でも3年」だった。

夫の転勤は「玉突き」では、と疑念が生まれた。営業職の夫は、福岡でも同じ営業の仕事をする。そろそろ課長ポストが空くので、同じ課長職から誰をスライドさせようか? そんな感じの異動だった。

あなたの成長のためにこの場所でしか経験できない仕事がある、とか、新しいプロジェクトを立ち上げるためにあなたの力が必要だから来てほしい、といったメッセージはなかった。

「夫が目をキラキラさせて希望に満ちて転勤するなら、私も子どもたちも応援したいし、覚悟もできます。でも・・・社員と家族の人生を変えてまで、会社は何を成し遂げたいのか。それがわからないから苦しいんです」

「ついていかないの?」

仕事を辞めて長男を転校させて、家族で福岡に引っ越すという選択肢は「1ミリもなかった」。夫は単身赴任した。

仕事、家事、育児を「ワンオペ」でこなすのは、物理的に大変だ。しかし、それ以上にこたえるのは、周りからのプレッシャーだ。

「単身赴任させるの?」「家族より仕事が大事なの?」

夫の転勤は「選択の余地のない」ことで、妻のほうに選択のボールが託される。選択の責任も妻が負う。「自分が選んだ道」なのだから弱音も吐けない。

西岡さんは、月1回の海外出張のときは、フルタイムで働く実母や、関西にいる夫の母親に来てもらっている。週末には長男とキャッチボールをしたり、車を運転して母子3人でスキー旅行に出かけたりもする。

「子どもには絶対に『ごめんね』と言わないようにしています。父親がいないことで、自分がかわいそうな子だと思ってほしくないから。ずっと考えています。この転勤で、誰が幸せになれるんだろう、って」

夫の転勤で、妻は笑えるのか

メイクセラピストの福吉彩子さんは2016年11月にブログで、ある日本酒の広告を取り上げた。

「転勤です」と言ったら、「はい」と笑ってくれたきみが好き。

こんなキャッチコピーとともにほほ笑む女性。新潟生まれの女性を主人公にしたシリーズ広告で、サイトには"旦那さんの視点から妻の純粋さや美しさを描きます"とある。次の回のコピー「ずーっと一緒に歩いていきたいと、今も思っている幸せ。」から、この女性は夫の転勤先に帯同することが予想される。

福吉さん自身、夫の海外留学のため、勤めていた外資系メーカーを休職して同行した経験がある。ブログにはこう書いた。

多くの、特に働く女性たちは 共働きが主流になりつつある昨今に「夫」が転勤を言い出したときに「はい」だなんて笑顔でいうか? あるいはそれを期待する殿方よ 時代錯誤もいいとこじゃない?という感想をもつのがどうやら主流の「メッセージの受け取り方」のようです。

転勤という「踏み絵」

さらに転勤は、会社にとっても笑えないほどコストがかかるものだ。転勤先の家賃補助や帰省のための交通費、引っ越し代なども支給しなければならない。

福岡に単身赴任している西岡さんの夫が受け取る手当は、年間およそ180万円。単純に年収が180万円上がるとしたらすごいことだ。1人の社員の転勤にそこまで経費をかけるくらいなら、その金額を転勤に使わず、現地で人員を採用するために使ってもいいのではないか。

会社にとって転勤は、コストに見合うほどのメリットがあるのか。いつ、どんな状況でも会社の命令に従う社員かどうかという、一種の「踏み絵」にはなっていないだろうか。

覚悟手当が含まれる

損害保険会社の東京海上日動は、全社員の3割にあたる約6000人が、国内外問わず転勤の可能性がある「グローバルコース」の社員だ。異動は3〜5年が目安とされているが、どのタイミングでどの職種やどの地域に異動するかは、社員にはまったく予想がつかないという。

グローバルコースの給与は、はっきりと示されているわけではないが、転勤の「覚悟手当」も含まれた金額だ。転勤したくなければ、転居を伴う異動がない「エリアコース」を選べるからだ。自分のキャリアに転勤が必要かどうか、入社前に会社と社員の約束を明確にしている。

転勤のない「エリアコース」でも2016年、一定のエリア内でのみ転勤ができる「ワイド型(W型)」という申請制の制度ができた。保険商品は地域によってニーズが異なるため、働く場所を変える意義が大きいからだ。

「異なる場所で働くことで、新しいノウハウを知ったり、さまざまな社員やお客様と触れたりして、切磋琢磨することができます」(人事企画部次長の小瀬村幸子さん)

「会社にしがみつきたい」

転勤をポジティブにとらえている東京海上日動だが、転勤する社員の配偶者については、頭を悩ませていた。社内結婚が多く、夫の転勤によって優秀な女性社員が相次いで退職し、見過ごせない状況になっていたからだ。

転勤のない「エリアコース」の社員が、配偶者の転勤などに伴い、勤務エリアを変えて働き続けられる「Iターン異動」の制度を2004年につくった。応募制で、ポストの空きなどの条件が整えば、配偶者の転勤先に「転勤」できる制度だ。2015年には77人のIターン異動が実現した。

Iターン異動を2度にわたって経験した社員もいる。東京・丸の内の本店で営業を担当する高柳綾子さん(31)は「制度のおかげで、いい意味で会社にしがみつけています」と話す。

1回目の転勤は、横浜から大阪。夫が単身赴任することも視野に入れていたが、高柳さんは大阪本店の営業として働くことができた。2回目の転勤で東京に戻ることに。地縁がなく親戚もいない大阪に残って1人で子ども2人を育てながら働くことは考えられなかった。Iターン制度が使えなければ、退職するしかないと思っていた。

「働けなくなることが一番嫌なので、どんな仕事でも受け入れます。会社にとって必要な人材だと思われるよう努力もします。夫に転勤があることは覚悟していますが、仕事を諦めたくはない。できるだけ長く働き続けたいんです」

次の転勤はいつ、どこなのか。そのときに3度目のIターンはできるだろうか。見通しの立たない不安を抱えながら、目の前の仕事に向き合っている。

管理職になれるとは限らない

残る覚悟をする人もいれば、動く覚悟をする人もいる。配偶者の転勤を笑えはしなくても、甘んじて受け入れざるをえない。会社はどう応えるのか。

前出の転勤実態調査は、転勤を管理職登用に必要な要件だとする企業はみられなかった、とまとめている。しかし、その後がある。

企業の中には、転勤を管理職登用等に必要な要件とされないまでも、転勤していれば得られたであろう必要な知識経験が習得できず、これが原因で管理職登用がされない場合もみられた(転勤が、実質的に管理職登用等に必要な要件となっている可能性)

転勤は「選ぶ余地のない命令」であり「不確実なキャリア形成」だ。その陰で、家族の人生が、配偶者のキャリアが、大きく左右される。

それらの重みと転勤の意義とのバランスを、それぞれの会社はどれだけ考え、1枚の辞令を出しているのだろうか。

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